ひとりごと、持たざる者

幼少期からクラシック音楽をやっていたと言うと、優雅で裕福なご家庭で育ったと思い込まれることがある。

 

もちろん、お金に困って泣くような家ではなかったけれど、うちは、いわゆる「裕福なご家庭」ではなかった。我が家の裕福成分は、共働きの両親の、血と汗と涙によって成り立っているものであるということは、早くから知っていた。

(血、実際に父がパックリ怪我をして帰ってきたことも、何度かあった。)

 

先日、知人に「親に『音楽は喰えないからやめろ』って言われたこと、ないでしょ?」ということを、言われた。

確かに、言われなかった。でも、やるからには職業音楽家になれ、と言われ続けて育った。芸術家になることを望まれていた記憶はなく、あくまでも「手に職をつけろ」という家だった。喰えないからやるな、ではなく、喰えるまでやれ。

 

残念ながら、私は甲斐性なしなので、一流の職業音楽家なのかと言われたら、返答に詰まってしまう。もちろん、一流の芸術家でもない。親の望むような結果は、何ひとつ手元に残っていない。

育て方を間違えたと、何度も何度も言われた。育て方は間違っていなかったと思うが、こちらの勝手な育ち方は、大いに間違えたのかもしれない。